活動日誌

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北とぴあ国際音楽祭「フィガロの結婚」

待ちに待ったこの日、北とぴあ国際音楽祭の「フィガロの結婚」を観に行きました。

指揮は寺神戸亮、オケは古楽のスペシャリストを集めたレ・ボレアード。この音楽祭ではもうおなじみの顔ぶれです。

フィガロの結婚

斬新なセミステージ形式

オペラというと、舞台にはセットが組まれ、オーケストラは手前のピットに入って演奏するのが普通です。

しかし、今回はセミステージで、オケと歌手が同じ舞台の上で演奏する形式で上演されました。

そのねらいについて寺神戸氏は、パンフレットの「指揮ノート」の中で次にようにのべています。

「今回はこのモーツァルトの奇跡的な音楽にじっくり耳を傾けていただきたいのです。」

「ダ・ポンテの台本にあるト書きを頼りに、最小限の動きと共に、むしろ音楽と作品そのものに集中できるような舞台にしたいと考えました。演出家はいませんので私がそれぞれの場面での歌手の出入りや位置を決め、簡単な照明効果をつけるのみで、後は歌手達、演じ手の自然で自由な演技に任せます。」

果たして、この効果は絶大なものがありませした。

オケの前面に配置されたソファやテーブルなど最小限のセットを使って、歌手たちが実に生きいきと演じ、歌っているのです。

おまけに楽器を演奏する人たちの顔もよく見えます。普段はピットの中で舞台に背をむけている演奏者たちも、演奏しながら劇を楽しんでいる様子でした。

このセミステージ形式は、オペラが演劇と音楽との一体芸術であることを、あらためて実感できるものでした。

スザンナ役のロベルタ・マメリ、群抜く存在感

歌手でいえば、全体的には「穴」がなく、安心して聴ける演奏でした。

ただ、伯爵のフルヴィォ・ベッティーニにはもう少し野蛮さが欲しかった。この人は、2年前の北とぴあ音楽祭「コジ・ファン・トゥッテ」ではドン・アルフォンゾを演じ、理性的なアルフォンゾにはピッタリの配役でしたが。

逆に、伯爵夫人のクララ・エクには、いまひとつ気品が欲しかったと思います。

ケルビーノの波多野睦美は、正直クエスチョン。実力派で歌には遜色ないが、いかんせん「女」のままで演じることに違和感あり。せめて男装し、若手に演じさせたい。

フィガロの萩原潤は好演。ヨーロッパ各地で演奏活動をおこなっているというだけあって、イタリア語の発音が素晴らしい。

そんな中で、抜群の存在感をしめしたのがスザンナ役のロベルタ・マメリ。この人もまた、「コジ・ファン・トゥッテ」ではドラベッラを演じていました。

ロベルタ・マメリ

とにかく自然体の演技が素晴らしい。びっくりした様子や困った表情、目や口を大きく開けて胸いっぱいの喜びを表現するさまなど演技とは思えぬ自然さで、まるで本物のスザンナが飛び出してきたかのよう。

チケット発売日に並んで最前列をとってよかった!

「フィガロの結婚」ならぬ「スザンナの結婚」の方がピッタリくるくらい、私がこれまで見た中で、最高のスザンナ役でした。

第4幕の面白さを新たに発見

今上演の収穫は、第4幕の面白さを新たに発見したこと。

大どんでん返しのストーリー展開や珠玉のアリアで楽しませる1~3幕までと比べ、これまで第4幕はちょっと見劣りがすると思っていました。

しかし冒頭、バルバリーナの「なくしてしまった、どうしよう」のアリアから、マルチェッリーナ、バジリオ、フィガロと続くアリアの連続は、息をのむほどの圧倒感がありました。

再び「指揮ノート」からの引用です。

「それぞれの役柄はモーツァルトの手により丁寧に、愛情を持って描かれるので悪役かに思われる伯爵でさえ素晴らしいアリアでその面目を保ちます。またバルトロ、マルチェリーナ、バジリオら脇役達に与えられたアリアの驚くほどの完成度はどうでしょう。これらのアリアがあることによって彼らの本質が明らかになり、しかもオペラの中にしっかりと彼らの存在理由を印象づけるのです。(オペラの劇場上演では割愛されることの多いマルチェッリーナとバジリオのアリアも今日は演奏いたします。お楽しみに!)」

まさに、この通り。第3幕までもキラリと光っていたバジリオの櫻田亮、マルチェッリーナの穴澤ゆう子が、この第4幕ではまさに主役に躍り出ての堂々たるアリアを聴かせてくれました。

先月、新国立劇場で鑑賞した「フィガロ」と比べても、数段楽しめた今回の上演。2倍の料金を払っても観たいと思える舞台でした。

来年も、北とぴあ国際音楽祭に期待したいと思います。