2013年10月23日(水) | 活動日誌
江戸の中心、日本橋を歩く
日本共産党志茂・赤羽後援会が主催する大人気の「下町散策」。前回、5月の柴又・帝釈天に続き、今回の訪問地は日本橋です。
午前10時に赤羽駅に集合。JR京浜東北線で東京駅までは約25分です。
八重洲口を出て中央通りへ。左手に見える首都高速道路をめざして5分ほど歩くと、日本橋に到着しました。
慶長8年(1603年)に最初に架けられた日本橋。橋は今でも残っていますが、これは明治時代に再建されたものです。
橋の上はトラックや自家用車が往来し、橋にかぶさるように首都高速道路が通っているため、昔の風情はまったく感じられません。
橋のたもとで中央区のボランティアガイドさんと合流。参加者15人は、2つのグループにわかれて説明を受けることになりました。
橋の欄干の上には、守護の獅子像が置かれています。片側には16頭(獅子=4×4=16)ずつ、合計32頭(橋=8×4=32)がいるとか。
日本橋の南橋詰には、江戸時代の高札場の史跡が。高札場とは、幕府が法度・掟書・犯罪者の人相書などを板面に記して往来に示した伝言板のようなものです。
ここで1枚、記念撮影です。
日本橋がかかる日本橋川沿いを、一石橋方面に歩く途中に、延命地蔵尊がありました。
戦後の新派を代表する女形役者、花柳章太郎が板絵お千世の図額を奉納した地蔵尊ということでしたが、縁結びの御利益があるとのことで、若いカップルがよく訪れるというお話でした。
立ち並ぶ巨大なビルの一角に、ひっそりと建っているのが港屋記念碑。
大正の初め、竹久夢二のデザインした日常生活の品々を扱う「港屋絵草紙店」が、この地に開店しました。当時、夢二のデザインは女性の憧れとされ、たちまちブランドショップとして人気を博したそうです。
碑には、色彩豊かな夢二の絵が施されていました。
町人たちが資金を出し合って建てたといわれる「迷子知らせ石標」の立つ一石橋を渡り、川の反対側に出ると目の前が貨幣博物館でした。
古代から現代までのさまざまな貨幣、紙幣の研究成果を見ることができる博物館。社会見学の時間なのか、たくさんの小学生たちが熱心にメモをとっていました。
館内は撮影禁止でしたが、唯一撮影が許されたスポットで記念撮影です。
貨幣博物館の正面が日本銀行本店です。ベルギー中央銀行を手本にした石造建築で、設計は東京駅を手がけた辰野金吾氏によるもの。
ちょうどお昼どきだったので、日銀の職員が昼食休憩でぞろぞろと外へ出てきました。どんなものを食べるのでしょうね。
さらに先へ進むと、三井本館です。関東大震災で大きな被害を受けた旧三井本館を修復し、昭和4年(1929年)に完成した建物。
全面に花崗岩が用いられ、外壁上部には豪華絢爛な12枚のレリーフが飾られています。
贅沢きわまる建造物に、財閥の権力と威信が垣間見られました。
三井本店と道路をはさんで反対側に建つのが三越本店です。
日本初の百貨店であり、日本橋のランドマークとしても有名です。
最後に、日本橋北詰の魚河岸跡記念碑で説明を受け、散策終了となりました。
日本橋界隈をぐるっと一周したわけですが、五街道の起点であり、江戸の商業、交通、文化の中心点として繁栄したかつての街並みは、今やすっかり高層ビルと化し昔の名残りはありませんでした。
橋の上から川を見下ろすと、水上バスの発着場が目に入りました。2011年春にオープンしたものとのことです。
今度は、ゆったりと水上から東京の下町めぐりをするのも良いかな、などと考えました。
次回の下町散策にも、ぜひ期待したいところです。