2013年11月14日(木) | 活動日誌
北区日韓親善協会韓国ツアー記(第3日目)
3日目の朝、部屋のカーテンを開けてびっくりしました。
前の夜は暗くて気がつきませんでしたが、ホテルの庭に並んだ立派な彫刻たち。古代ギリシャを思わせる風景に見入ってしまいました。
どうやらこの庭は、ホテルの部屋からの鑑賞用としてつくられた様子。それにしても贅沢です。
今回の旅行では、宿泊したのはいずれも立派なホテルでしたが、この大邱インターブルゴホテルはとりわけゴージャスでした。
この通り、敷地いっぱいまで下がっても、全景が写りきらないほどです。
ホテルでバイキングの朝食をすませ、この日も何が起きるかわからないということで、8:00にはバスに乗り込み、3日目の目的地、水原(スウォン)へと出発しました。
高速道路でのハングル勉強法
韓国のやや南に位置する大邱から北部の水原へは、やはり高速道路で3時間ほどかかります。
途中、ドライブインで休憩をとりながら気長の旅を続けます。ムンキョン休憩所でバスを下りたとたん、冷たい強風が襲ってきました。
この日のソウル方面は、厳しい寒気に見舞われていると、ガイドさんから教えてもらいました。
時間を持て余す車中で、ハングルの勉強をしようと思い立ちました。
意味不明の記号のように見えても、24の基本文字と組み合わせの法則さえわかれば、ハングルを読むことはできます。ここで思いついたのは、車のナンバープレートを使った勉強法です。
高速道路でバスを追い抜いてゆく車のナンバープレートを見て、そこに書かれている文字を読むのです。
プレートには日本と同じようにハングル1文字が表記されていて、「これは『カ』」「これは『マ』」などと当ててゆきます。
この訓練のおかげで、また少しハングルが読めるようになりました。
華やかな城が待つ水原へ
水原の見どころはといえば、何といっても水原華城(スウォンファソン)。朝鮮王朝後期の1794年に、第22代王・正祖(チョンジョ)が政争により悲運の死を遂げた父を悼み、2年8ヵ月の歳月をかけて造り上げたという城です。
バスを下りると、すでに観光客で大賑わい。ガイドの朴さんから一通りの説明を聞いた後、さっそく城郭を歩いてみることになりました。
まずは北東部に位置する蒼龍門(チャンリョンムン)からです。石造りのアーチ門の上に楼台が置かれた堂々たる建物です。
内側からの階段を上り、通路となっている城郭をぐるっと回れるようになっています。なるほど万里の長城と似ているという説明に納得です(私は行ったことがありませんが)。
素晴らしい城郭からの眺め。色づき始めた木々も絵になります。
砲台や弓を射るための穴も設けられていますが、戦争には一度も使われたことはないそうです。
東北空心?にたどり着きました。兵士が中に入って敵を見渡せるように作られた望楼の一種だそうです。
高さは10mほどはあろうか、間近で見ると、かなりの迫力があります。
城郭の狭い通路をさらに進むと、東将台(トンチャンデ)が見えてきました。兵士を訓練した所で、錬武台(ヨンムデ)とも呼ばれているそうです。
この建物のすぐ下には韓国式弓道の練習場が設けられており、一般の人が弓を射る姿も見られました。まわりには柵も何もないので、流れ矢が飛んでこないかと少し心配になりましたが。
ひと回りして、元の場所に戻ってきました。
案内板でいまたどってきた道を確認してみると、歩いたのは長く続く華城城郭の、ほんのわずかな距離でしかないことがわかりました。
すべてを見てまわるとなれば、それこそ1日がかりの見学コース。時間の関係で、お楽しみはこの次にとっておくことにしました。
いよいよ首都ソウルへ
バスはいよいよ首都ソウルへ入ります。水原からは、ほんの30分ほどの距離です。
時刻はちょうど昼どき、お腹も減ってきました。ここで昼食タイムとなり、セジュン・ガーデンというおしゃれなレストランに入りました。
メニューは韓国料理の定番、ビビンバです。
「ビビム」が混ぜ(「混ぜる」の名詞形)、「バブ」が飯の意で、韓国式の「まぜご飯」。熱々の石焼き容器に入ったご飯と具材を、スプーンでよくかき混ぜてから食するのが作法とのこと。赤い容器に入った辛みそを垂らすと、刺激的な味になります。
付け合わせのキムチやナムルは、なくなれば無料でどっと足してくれます。日本では高価なキムチが韓国の食堂では無料で食べ放題というのは、何ともいえぬ魅力です。
食事の後は再びバスに乗り、ソウルの中心街へ。小高い丘の上に立つソウルタワーも視界に入ってきました。
赤信号で停車したところで、おしゃれな建物が目に留まりました。案内板を見ると「国立劇場」とあります。今回はかないませんが、次に来る時には韓国の芸術や芸能にもふれてみたい気がします。
ホテルにチェックインする前に、新羅ホテルの免税店に寄りました。
女性陣や、連れ合いから買い物を頼まれている男性諸氏にはお待ちかねかもしれませんが、ブランド品、高級品に一切縁のない私にとっては、時間を持て余すしかありません。
CHANELの看板をボーっと見ながら「バスの車(シャ)内で寝る(ネル)か」などと、一人ほくそ笑んでいました。
ホテルにチェックイン、そして若者で賑わう明洞へ
最後の夜を過ごすホテルは、ティーマークホテル明洞です。
意外に早く到着したため、チェックインして部屋に向かうと、まだルームメイクをしている最中でした。少し待って荷物を置き、これからはしばらくの間、自由行動となります。
そこで同じ会派の、さがらさん、ながいさんと一緒に、明洞(ミョンドン)の繁華街を散策することに。地下鉄では1駅ですが、大した距離ではないとみて、歩いて行くことにしました。
明洞は、日本でいえば原宿や渋谷あたりでしょうか。若者たちで賑わう街とのことで、釜山や安東とは違った雰囲気を味わえるという期待を持って歩き出しました。
大通りから1本道を入ると、まさに原宿の竹下通り然とした人の流れに。ちょうど日曜日ともあって、まっすぐ進むこともできないほどの混雑です。
ここで、ながいさんから「スーパーマーケットへ行ってみたい」とのリクエストが。聞けば世界中の街のスーパーで買い物をするのが彼女の夢とのこと。
やっとのことでスーパーを見つけて入ったはよいが、次の瞬間、思わぬハプニングが。ながいさんの買い物モードにスイッチが入ってしまい、ショッピングが止まらなくなってしまったのです。
そんなこともあって、そこから先は3人が別々に行動することになりました。
2人と分かれ、広い明洞通りを抜けてロッテ百貨店へ、さらに南大門路を北上して歩いているうち、何やら大きな声が聞こえてきました。
音のする方向へ駆け寄ってみると、大通りを席巻する大デモの行進にぶつかりました。その数たるや、千の単位ではきかないほど。のぼりやプラカードを掲げて、延々とデモが続くのでした。
残念ながら、どんな勢力が何のために示威行動をおこなっているかはわかりませんでしたが、韓国国内の政情が決して安定しているわけではないことを肌身で感じました。
さて、夕食へ向かうバスの時間にホテルへ戻ってみると、さがらさんが帰っていません。携帯電話も留守電になってしまい、連絡がとれず。
困ったことになったと頭を抱えていると、集合時間を10分ほど過ぎて、さがらさんが戻ってきました。
話を聞いてみると、繁華街を歩いているうちに迷子になり、地下鉄に乗ろうとしたが切符が買えず、タクシーもつかまらない。最後に若いカップルに助けを求めたら、ホテルまで車で送り届けてくれたとのことでした。
夕食の時間にはなんとか間に合い、事なきを得ましたが、勝手分からぬ外国でそれぞれの個性が垣間見られた明洞での一幕でした。
骨付きカルビで最後の晩さん
今回のツアーで最後の晩さんとなる夕食は、明洞のレストランでの骨付きカルビ定食です。
この席には、安東市の有力者の方と、北区と安東市の橋渡し役を引き受けて下さった順天学園の渡辺理事長が駆けつけて下さいました。北区と安東市の友好都市協定の話を前に進めるためです。参加者全員が自己紹介して会食し、今後の努力を約束しあいました。
食事が終わって外に出ると、身震いするような寒さ。やはりソウルの気温は低かった。
ホテルに戻り、前日に余った焼酎を飲みほして最後の夜を過ごしました。