2013年11月14日(木) | 活動日誌
北区日韓親善協会韓国ツアー記(第4日目)
最終日は長距離の移動がなく、朝も時間に若干の余裕がありました。
そこで、ホテルでの朝食を早々にすませ、ソウルの街を散歩してみることにしました。
目ざすは前の日に気になってしょうがなかったソウルタワー。早朝で営業はしていないでしょうが、せめてタワーの下まで行ければと歩き出しました。
ところが道を間違えたようで、進むほどにタワーが遠ざかってゆきます。時間内には到達できそうもないので、引き返すことに。
いったんホテルに戻り、今度は大通りを反対方向へ歩いてみました。
何ということもない街並みが続いていましたが、交差点に金色の彫刻をみつけました。残念ながら、作者や作品の意図はわからずじまいでした。
国立民俗博物館から景福宮へ
この日はソウル市内を観光する予定となっています。バスに荷物を詰め込み、さっそくホテルを出発しました。
ホームグラウンドに戻ってほっとしたのか、運転手の李さんはすっかりご機嫌の様子。ソウルでは、釜山や大邱での大チョンボの汚名返上とゆきたいところでしょう。
最初の訪問地は、国立民俗博物館です。立派な門構えの正門をくぐって奥へと進みます。
展示館の建物の上には五重の塔がそびえたっていますが、詳しい説明がないのをみると、歴史的価値のある建物ではなさそうです。
とりあえず絵にはなるということで、並んで記念撮影をしました。
館内に入ると「韓民族生活史」「韓国人の日常」「韓国人の一生」と区分された常設展示場が設けられていました。
最初は一つひとつに目を通していたのですが、時間も限られているので面白そうな人形を中心に見てまわることにしました。
シュールなまでにリアルなマネキン。いまにも動き出しそうです。民俗衣装が似合っています。
お祭りで騒ぐ子どもたちでしょうか。こちらも実に表情が豊かにできています。
お供え物を準備する女の子。団子の一つひとつや麺の一本一本まで丁寧につくりこんであります。
病人の治療をする医師の人形。寝ている方も治す方も、本物の人間かと思うくらいです。
チマチョゴリを着た女性。少し怒っているようで顔が怖い。
とまあ、こんな感じで館内をぐるっと一周。ちょうど集合時間のタイミングで入口に戻ってきました。
次は、そのまま歩いて景福宮(キョンボックン)へ。ここは、朝鮮半島が日本の植民地とされた1910年まで、朝鮮王朝の王宮として使われていた建物です。
実は、国立民俗博物館は景福宮の敷地内に建てられており、博物館から一つ門をくぐれば、すぐに王宮へとつながります。
広大な敷地内に、荘厳な建物がいくつも建てられています。
博物館から来たので、道順としては裏口から表に出るコースとなりました。表に行くに従い、小さい建物がだんだんと大きくなってゆきます。
よく見ると、屋根の上に何やら小動物のようなものが。西洋のガーゴイルのようなものでしょうか。はたまた、魔除けのまじないか?
交泰殿(キョテジョン)という建物の前で記念撮影。ここは、王と王妃の生活の場であり、寝室でもあった建物です。
康寧殿(カンニョンジョン)も同じく、王と王妃の寝室です。
外国からもたくさんの観光客が来ていましたが、子どもたちが楽しそうに建物の中をのぞきこんでいました。
慶会楼(キョンフェル)は、国に祝事があったときや宴を催すために作られた楼閣。
池に浮かぶその姿は美しいの一言。韓国の国宝とされている建物です。
そして最後は、勤政殿(クンジョンジョン)です。1万ウォン紙幣の絵柄にもなっているという大建造物は、王の即位式や外交官の接待など国家の公式的な行事が開かれていた場所です。
後で調べてわかったことですが、この王宮は李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃である閔妃が日本軍によって殺害された場所でもあるとのこと。日本軍国主義による朝鮮の植民地化がおこなわれてゆく時代には、この美しい王宮が血で染まったことを考えると、いたたまれない気持ちになりました。
青瓦台前通りで抗議する女性
韓国歴史ドラマの世界に迷い込んだような景福宮を見終わって、再びバスに乗り込みました。
次なる目的地は、大統領の執務室、青瓦台(チョンワデ)。アメリカ合衆国ならホワイトハウスにあたります。
とはいうものの、青瓦台に直接入れるわけではありません。いや、入るどころか、以前は一般人が近づくことすらできなかったそうです。
現在は、許可が下りれば青瓦台前の道を通り抜けることができますが、撮影は厳禁です。ものものしい格好をした警察官の姿が辻々に確認でき、緊張が走ります。朴さんが「ほら、あの青い屋根」と指さした方向に目を向けた時には、すでに青瓦台を通り過ぎていました。
青瓦台前通りを抜けようとした時、プラカードをぶら下げ、チラシをまいている一人の女性の姿が。
その主張は確認できなかったものの、青瓦台にいる大統領に何かモノが言いたかったのは明らかでした。
参鶏湯を食べることなく韓国を去ることなかれ
韓国縦断の旅も、いよいよ終わりに近づいてきました。
最後の食事は、参鶏湯(サムゲタン)の専門店へ。参鶏湯といえば、昨年の韓国旅行のとき、あの麗水(ヨス)世界博覧会会場で注文した料理。あの時は真夏の真っ盛りで、ほとんど冷房が効かないレストランで汗だくになりながら挑戦しましたが、ついに完食できずに終わりました。
さて、今回はやはりリベンジでしょう。
運ばれてきた鍋には、鳥丸ごと一匹が煮込まれ、まだぐつぐつと不気味な音をたてています。いわれる通り箸とスプーンで肉を細かくさばき、別の器に少しずつ移して食べてゆきます。
時間をかけて、何とか具材は完食しましたが、スープまでは全部飲み干すことができませんでした。残念。
外へ出てみると、店の前は参鶏湯を食べに来た客が行列状態。私たちは少し早く着いたのですぐに食べることができましたが、この専門店は、毎日このような光景が見られる人気店とのことでした。
仁寺洞で最後の買い物
ソウル観光の最後は、伝統工芸品店や伝統茶屋が軒を連ねて並ぶ商店街、仁寺洞(インサドン)です。
財布に残ったウォンを手に、自由行動となった約1時間で、お土産をまとめ買いすることにしました。
ここで、円とウォンとのレートの話ですが、昨年訪れたときは1円が約14ウォン、つまり1万円札を出すと14万ウォンが返ってきたものでした。
今回は円安の影響で、1円が約11.8ウォンとなり、1万円では11万8000ウォンとなります。あまりの単位の違いに、面食らったりもしますが、1万ウォンが約1000円、10万ウォンなら約1万円と割り切れば、おおよその換算ができます。
落ち着いた街の雰囲気を味わいながら、あの人、この人の顔を思い浮かべてお土産を選びました。
最後に自分にもお土産をと、ウナギ皮のキーケースを購入。ガイドの朴さんから「ウナギ皮は軽くて長持ちする」とアドバイスを受けていたので、即決しました。お値段、1万5000ウォンなり。
仁川空港から帰国
長いようで短かった韓国の旅も、これで終わりです。
ソウルからバスで仁川(インチョン)国際空港に移動し、帰国の途に着くことになりました。
最後の最後まで、面倒見のよい朴さん。搭乗ゲートに入る直前まで見送りに来てくれました。
4日間の旅で、一番使った韓国語の言葉「カムサハムニダ」を贈って、お別れしました。
仁川空港を大韓航空KE-705便で飛び立ったのが16:30、成田空港には予定通り18:35に到着しました。
今回の旅では、昨年にも増して韓国をよりいっそう身近に感じることができました。
いま日本と韓国は、竹島(韓国では独島)や歴史認識の問題をめぐって、表面上は敵対的な関係にあるように見えます。
しかし、国民レベルでいえば、同じアジアに属する国同士として、緊密な協力関係、友好関係を築く条件は必ずあると思います。
その決定的なカギは、日本政府が過去の侵略戦争と植民地支配、日本軍「慰安婦」問題をきっぱりと反省・清算する立場に立つことにあります。
両国の真の友好関係が発展することを願い、私もその一助となれるよう努力することを書き添えて、旅の記録を終えたいと思います。