2013年3月10日(日) | 活動日誌
「さよなら原発in飛鳥山」に400人
3・11東日本大震災からちょうど2年目を迎える前日の今日、飛鳥山公園で「さよなら原発in飛鳥山」集会が開かれ、400人が集いました。
午後1時すぎに会場に着くと、舞台では文化行事のうたごえが響いていました。
昨年と同じ青年劇場の相楽満子さんの司会で始まった集会。最初の発言者は、福島県の浪江町から北区に避難している門馬昌子です。
門馬さんは「あんなに元気だった夫が、避難生活の中で体を壊し、うつ状態にまでなってしまった。原発は絶対に認めることができない」と怒りをぶつけました。
続いて、常総生協副理事長の大石光伸さんが東海村第2原発差し止め訴訟のたたかいについて、ほくと医療生協の木内知子さんが内部被ばくの影響について、田中一郎さんが原子力規制委員会新安全基準の問題点について発言しました。
その後、北区在住の講談師・神田香織さんと東京北法律事務所の鳥生忠佑弁護士から届いたメッセージが読み上げられ、横田朔子さんが原発事故報告書の問題点について発言しました。
幼い子どもを抱いて発言に立ったほっと村の古賀由希子さんは、「いまだに放射線の子どもへの影響が心配でたまらない。北区は地域防災計画の改定をおこなったが、放射線対策についてはわずかな記述しかない。原発は一刻も早く止めるべき」と訴えました。
集会が始まる頃には真夏日のような暖かさだったのに、途中から急に太陽が雲に覆われ突風が吹く天候に。舞台の横断幕が吹き飛ばされる一幕も。
大震災が発生した時刻、午後2時46分には、参加者全員で黙祷を捧げました。
最後に全員で「ふるさと」を合唱して、飛鳥山公園での集会は幕を閉じました。
このあと、王子三角公園に移動し、パレードの準備です。とうとう雨が落ちてきてしまいましたが、ミニ集会を決行。
私たち日本共産党北区議員団と、そねはじめ前都議会議員も紹介を受け、原発ゼロに向けた決意をのべました。
幸いなことに、パレードが出発する頃には雨が止み、参加者一同、元気に出発することができました。
収束どころか、いまだに原因すら究明できず建屋の中の状況さえわからない福島第1原発事故。こんな状態で原発を再稼働させるなど、もってのほかです。
毎週金曜夜の官邸前をはじめ、全国での反原発運動も、ねばり強く続けられています。
即時原発ゼロを求め、私も連帯してたたかい続けてゆきたいと決意を新たにしました。