活動日誌

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北区日韓親善協会韓国ツアー記(その4)

第4日、慶州市内観光へ

あっという間の3日間が過ぎ、いよいよ最終日。午前中に慶州市内の観光をおこない、午後には日本へ帰国することになります。

例によってバイキングの朝食ですが、慶州のコモドホテルは落ち着いた雰囲気のレストラン。韓国での最後の朝食が終わると、荷物をまとめてバスに乗り込みます。

ユネスコ世界遺産、仏国寺を参拝

すでに慶州市内に宿をとっていたので、この日の目的地、仏国寺には15分ほどで着きました。

仏国寺は、韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗の寺院で、石窟庵とともにユネスコの世界遺産に登録されているお寺。私自身は宗教を持ちませんが、奈良や京都の寺院を見るのは大好きなので、日本の寺院と比べてみるのも興味あるところです。

まずは正門前で記念撮影。

境内に入ると、美しい自然の香りがします。しばらく進むと、最初の門にぶつかりました。

この天王門には、寺院を守る四天王が配置されているということで、のぞいてみることに。左右に2体ずつ、日本とはずいぶんイメージの違う、巨大でちょっとひょうきんそうな四天王が私たちを見下ろしていました。

天王門をくぐると、中庭のようなところに出ました。ここが仏国寺の正面になります。本殿である大雄殿へと続く石橋は青雲橋・白雲橋と呼ばれ、1200年以上も前につくられたものとのこと。国宝に指定され、通行は禁止されているので、右側の坂道を登って本殿に進むことにします。

大雄殿のある広場に入ると、2つの塔が目に飛び込んできました。

手前にあるのが多宝塔。やはり新羅時代の751年頃に作られたと推定されています。

もう1つは釈迦塔。新羅時代の三層の塔ですが、石でできており、日本の多重塔とは趣が違います。この2つの塔は、国宝に指定されています。

そしてこれが本殿の大雄殿です。中には金色の釈迦三尊仏が安置されていました。

境内は回廊によって区切られており、本殿裏の無説殿、観音殿、毘盧殿などの建築物を見てまわりました。

回廊をはさんで釈迦塔と隣り合わせになっている区域には、極楽殿が建てられていましたが、正面にはなぜか金のイノシシが鎮座。由来の説明は、聞き逃してしまいました。

境内の土産店で買い物をすませ、上った坂と反対側の坂を下ると、寺院の正面に戻りました。ここでも記念撮影。

世界遺産に登録されているだけあって、荘厳な寺院の姿を堪能することができましたが、やはり奈良の法隆寺にはちょっと劣るかな、というのが私の感想でした。

旅程では石窟庵の見学も入っていましたが、時間の関係か割愛されてしまったのは残念でした。いつかまた、ここに来ることはできるのでしょうか。

帰国の途へ

さあ、いよいよ韓国4日間のツアーもフィナーレを迎えることになりました。

仏国寺を出て韓国青磁の窯元に立ち寄った後は、一路釜山の空港へ。バスは慶州のインターチェンジを抜けてゆきます。

金海空港が近づいてきましたが、帰国する前に最後の買い物をということで、キムチ物産店に案内していただきました。買い物タイムは20分間です。

あの人へ、この人へと顔を思い浮かべながら土産品を物色。店員さんは、商品をすすめるのがとても上手で、韓国のりを2つ買おうとしても、「3つ買ってね。おまけをつけるから」と、ポンポンかごに入れてしまいます。そうこうしているうちに、この間両替したウォンは、ほとんどなくなってしまいました。

空港に到着し、荷物を降ろして運転手さんとはお別れ。搭乗までに若干の時間があるので、空港のレストランで昼食をとりました。

そして、4日間お世話になったガイドの劉さんともここでお別れです。最後に写真をとカメラを向けると、「いや、恥ずかしい」と劉さん。失礼ながら、1枚だけシャッターを押させていただきました。

本当にありがとうございました。

JAL-958便で成田に到着したのが午後4時。こうして無事、韓国ツアーが幕を閉じました。

これからの韓国と日本のこと

私にとって、これまで韓国はやはり「近くて遠い国」でした。

学生の頃の軍事独裁政権のイメージが強く残っていましたが、1987年の民主化宣言からすでに四半世紀が経過。大きく変わっているのも当たり前です。今回のツアーで韓国の「今」を実体験できたことは、大きな収穫でした。

日本語がこれほど普通に通用することも驚きでしたし、日本人の見られ方も想像と違っていたところがありました。

いずれにせよ、長い過去の歴史を持つ韓国と日本が、これからも友好を深めあい、相互に発展してゆくことがなにより望ましいと考えます。そのために乗り越えるべき課題や、すすめるべき施策を日々探究しながら、日韓親善協会の活動にいっそう前向きにとりくんでゆくつもりです。

4日間の旅、おつかれさまでした。カムサハムニダ。