活動日誌

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北区日韓親善協会第3回訪韓ツアー記(4日目)

訪韓ツアー最終日を、慶州ヒルトンホテルで迎えました。

ベランダからの眺め。右手奥の建物が、一昨年泊まったコモドホテルです。

ホテルからの景色

バイキングの朝食をすませ、手早く荷物をまとめて午前8時30分にホテルのロビーに集合しました。

天気は快晴。ヒルトンホテルを後にして、バスで慶州観光に出発しました。

ヒルトンホテル

世界遺産・石窟庵

最初に訪れるのは石窟庵(ソックラム 석굴암)です。

石窟庵は、花崗岩を組み合わせて人工的につくられた石窟の中に石仏が置かれた仏教遺跡です。人気の観光スポットで、この日も朝9時に着いた時には、すでにたくさんの観光バスが停まっていました。

石窟庵

場所は吐含山の麓、一昨年のツアーで訪れた仏国寺から一本道で4kmほど上ったところにあります。

造られたのは774年とされていますが、その後、儒教を中心とした朝鮮時代に弾圧・放置され、石窟庵は山の中に埋もれていたそうです。1909年に、郵便配達員が偶然にこの仏像を見つけ、日本による統治下で発掘・補修が進められました。

1995年に仏国寺とともにユネスコの世界遺産に登録され、入口には仏国寺と同じ形をした石碑が置いてありました。

世界遺産の石碑

駐車場から石窟庵までは、山道を歩きます。とはいっても平坦な道で、登山というほどでもありません。

途中、長く列になった韓国の小学生たちとすれ違いました。先ほどの観光バスは、修学旅行用のバスだったのかもしれません。

見学中の子どもたち

先生たちが「アッペー、ムーチャ」(日本でいうと「イッチニィ、サンシ」というようなリズム)と、かけ声をかけ、小学生たちもこれを復唱しながら歩いています。ガイドの李さんに聞いたら「前の人に続いて」(前の人に遅れないように)という意味だそうです。

日本に帰っても、このフレーズが頭から離れず、語感を頼りに調べて「アッペー、ムㇽチャ」(앞에 몰자)と言っていたのではないかという結論に達しましたが、自信はありません。

さて、そうこうしているうちに、石窟庵の入口前まできました。

前面に見えるのは看板で、実際の石仏はその裏にあります。現在は補修工事中で、この大きな看板で囲われているとのことでした。

石窟庵前の広場

絵から想像するに、相当大きな石仏のよう。

これが、この入口の先にあるのかと思うと、奈良の大仏や鎌倉の大仏を初めて見る時のような、わくわくした気分になってきました。

石窟庵の入口

案内板で、李さんに説明を受けます。

中央に鎮座する如来坐像の周りに、菩薩像、四天王像などの石仏が彫られている構造とのことですが、現在は遺跡保護の観点から全面ガラス張りとなり、直接見ることはできないそうです。

案内板

残念ながら中は撮影禁止でしたが、本尊の高さは3.4m、期待したほど大きくはありませんでした。しかもガラス越し。ちょっと肩透かしを食らったようでした。

最後の食事はプルコギ

石窟庵を後にして、韓国で最後の昼食となる食事会場へ向かいました。

昼食会場

用意されていたのは、韓国料理の代名詞でもあるプルコギ(불고기)。甘い醤油ベースの下味をつけた薄切り牛肉を、野菜や春雨といっしょに焼く「韓国風すき焼き」です。

鍋の肉と野菜をサンチュでくるみ、コチュジャンをつけてパクっと一口。これぞ韓国料理!

プルコギ

食事の後は、青磁器の窯元に立ち寄り、そのままバスで釜山へ一直線。最後の土産屋で買い物をして、金海国際空港に到着しました。

4日間お世話になったガイドの李さんに別れを告げ、搭乗ロビーへと向かいました。

金海国際空港

搭乗時間まではたっぷり1時間半残っています。空港内の免税店を見てまわり、多少の買い物をした後は、旅の記録を整理しながら時間をつぶしました。

そしていよいよ帰国便の大韓航空KE-713に搭乗。

搭乗

飛行機は無事飛び立ち、東京へと向かいます。最後の機内食を平らげると、ほどなく成田空港へ着陸しました。

最後の機内食

真の日韓親善のために

現在、韓国と日本は、領土問題や歴史認識問題などをめぐって、外交的に厳しい関係にあります。

しかし、毎回韓国を訪れて思うのは、お互いの国民同士は決して相容れない状況ではないし、むしろ友好関係を求めているということです。

安倍内閣のもとで、首相や閣僚の靖国神社参拝が繰り返され、日本軍「慰安婦」問題での河野談話を見直し、後退させる動きも表面化しています。

韓国と日本の真の友好親善関係を築くためには、日本が歴史の真実に正面から向き合い、過去におこなった侵略戦争と植民地支配を反省することが不可欠の前提となります。

このことを政府に求めながら、今後とも北区で日韓親善のとりくみに力を尽くしてゆきたいと思います。